鎖国(さこく)下でも、日本はすべての外国との関係を断ったわけではありません。オランダと清(しん)(中国)とは長崎(ながさき)で貿易(ぼうえき)を続けました。
オランダ人は出島(でじま)で、清(しん)の商人は唐人屋敷(とうじんやしき)で取引していたんだ
鎖国なのに貿易は続けていたんですか?
そう!完全に外国との関係を断ったわけじゃないんだよ。出島と唐人屋敷で貿易を行い、海外の品物や情報を手に入れていたんだ
海外の情報はどうやって手に入れていたんですか?
オランダ商館長(しょうかんちょう)が毎年幕府に提出するオランダ風説書(ふうせつがき)が、鎖国下の日本にとって貴重(きちょう)な海外情報源だったんだ!
オランダ風説書で世界の出来事を知っていたんですね!
オランダ(<span class="keyword">出島</span>)・清(<span class="keyword">唐人屋敷</span>)と長崎で貿易 → <span class="keyword">オランダ風説書</span>で海外情報を入手
朝鮮(ちょうせん)とは対馬藩(つしまはん)を通じて外交を行いました。将軍(しょうぐん)の代替わりごとに朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が来日しました。
朝鮮通信使はどんな役割があったんですか?