律令国家(りつりょうこっか)では、班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)により6歳(さい)以上のすべての人に口分田(くぶんでん)が与えられ、死後(しご)に国へ返す仕組みでした。
班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)では、戸籍(こせき)に基(もと)づいて口分田を分け与えたんだ。その代わり税(ぜい)を納(おさ)める義務(ぎむ)があったんだよ
どんな税があったんですか?
稲(いね)を納(おさ)める租(そ)、布などの特産品(とくさんひん)を納(おさ)める調(ちょう)、労役(ろうえき)の代わりの布を納(おさ)める庸(よう)の3つがあったんだ
3つも!農民にとってはかなり大変ですね…
さらに九州(きゅうしゅう)を守る防人(さきもり)という兵役(へいえき)もあったんだ。家族と離れて遠い九州まで行かなければならなかったんだよ
<span class="keyword">班田収授法</span>で<span class="keyword">口分田</span>を与え、<span class="keyword">租</span>・<span class="keyword">調</span>・<span class="keyword">庸</span>の税を課す。<span class="keyword">防人</span>
重い税(ぜい)負担(ふたん)で農民(のうみん)が逃亡(とうぼう)し、口分田が不足。朝廷(ちょうてい)は土地制度の見直しを迫(せま)られました。
農民が逃げてしまったら、どうやって解決したんですか?
開墾(かいこん)を奨励(しょうれい)するため、まず三世一身法(さんぜいっしんのほう)で3代までの私有(しゆう)を認(みと)めたんだ