豊臣秀吉(とよとみひでよし)は全国統一を進める中で、土地と人民(じんみん)を支配(しはい)するための重要な政策(せいさく)を次々と打ち出しました。
秀吉は全国の田畑(たはた)の面積(めんせき)や土地の良し悪しを調べ、石高(こくだか)(米の収穫量(しゅうかくりょう))で表す太閤検地(たいこうけんち)を行ったんだ。これで年貢(ねんぐ)の基準(きじゅん)が統一されたんだよ
検地帳(けんちちょう)に名前が載った百姓(ひゃくしょう)はどうなったんですか?
検地帳に名前が載った百姓は、その土地の耕作権(こうさくけん)を認められる代わりに、年貢を納(おさ)める義務(ぎむ)を負うことになったんだ
土地と人をしっかり管理する仕組みを作ったんですね。他にはどんな政策をしたんですか?
さらに刀狩(かたながり)を実施(じっし)して百姓から武器を取り上げたんだ。一揆(いっき)を防ぐためだね。これにより武士(ぶし)と百姓の身分(みぶん)がはっきり分かれる兵農分離(へいのうぶんり)が進んだんだ!
なるほど! 太閤検地で土地を管理し、刀狩で武器を取り上げて、武士と百姓の身分を分けたんですね!
<span class="keyword">太閤検地</span>(田畑を<span class="keyword">石高</span>で統一)+ <span class="keyword">刀狩</span>(百姓から武器没収)= <span class="keyword">兵農分離</span>の確立!
国内を統一した秀吉は、大陸への進出(しんしゅつ)を目指して朝鮮(ちょうせん)に出兵(しゅっぺい)しました。
明(みん)(中国)の征服(せいふく)を目指して、1592年に文禄の役(ぶんろくのえき)、1597年に慶長の役(けいちょうのえき)と2度にわたり朝鮮に大軍を送ったんだ