国内の改革(かいかく)と同時に、明治政府(めいじせいふ)は外国との関係(かんけい)づくりも急ぎました。
1871年、岩倉具視(いわくらともみ)を大使とする岩倉使節団(いわくらしせつだん)がアメリカやヨーロッパに派遣(はけん)されたんだ
どんな目的で派遣(はけん)されたんですか?
不平等条約(ふびょうどうじょうやく)の改正交渉(かいせいこうしょう)と、欧米(おうべい)の制度(せいど)を学ぶことが目的だったんだよ
条約(じょうやく)の改正(かいせい)はうまくいったんですか?
残念(ざんねん)ながら条約改正(じょうやくかいせい)は失敗してしまったんだ。でも欧米(おうべい)の近代化(きんだいか)を見て、まず富国強兵(ふこくきょうへい)を最優先(さいゆうせん)にすべきだと実感(じっかん)したんだよ
<span class="keyword">岩倉使節団</span>(<span class="keyword">岩倉具視</span>が大使):条約改正は失敗したが、<span class="keyword">富国強兵</span>の必要性を実感!
使節団が留守(るす)の間に、国内では大きな論争(ろんそう)が起きていたんだ。征韓論(せいかんろん)だよ
征韓論(せいかんろん)ってどんな主張(しゅちょう)ですか?
西郷隆盛(さいごうたかもり)らが「朝鮮(ちょうせん)に武力(ぶりょく)で開国(かいこく)を迫(せま)るべきだ」と主張(しゅちょう)したんだ。でも帰国した岩倉(いわくら)らが「今は国内の改革(かいかく)が先だ」と反対(はんたい)して否決(ひけつ)されたんだよ