鎌倉幕府(かまくらばくふ)を倒(たお)した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は天皇(てんのう)中心の政治を目指し建武(けんむ)の新政(しんせい)を始めましたが、武士の不満が高まり、わずか2年で崩壊(ほうかい)しました。
建武の新政は公家(くげ)ばかりを優遇(ゆうぐう)し、武士の功績(こうせき)を正しく評価(ひょうか)しなかった。足利尊氏(あしかがたかうじ)は後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に反旗(はんき)を翻(ひるがえ)し、京都に新しい天皇を立てて室町幕府(むろまちばくふ)を開いたんだ
後醍醐天皇はどうなったんですか?
後醍醐天皇は吉野(よしの)に逃(のが)れて朝廷(ちょうてい)を開いた。京都の北朝(ほくちょう)と吉野の南朝(なんちょう)、二つの朝廷が並び立つ南北朝時代(なんぼくちょうじだい)が約60年間続いたんだ
天皇が二人もいた時代があったんですか!60年も続いたなんてすごい...
<span class="keyword">建武の新政</span>が崩壊 → <span class="keyword">足利尊氏</span>が<span class="keyword">室町幕府</span>を開く → <span class="keyword">南北朝時代</span>(約60年間)
3代将軍(しょうぐん)足利義満(あしかがよしみつ)の時代に室町幕府は全盛期(ぜんせいき)を迎(むか)えました。
足利義満は南北朝を統一(とういつ)し、約60年にわたる分裂(ぶんれつ)に終止符(しゅうしふ)を打った。京都の室町に豪華(ごうか)な邸宅(ていたく)(花の御所(ごしょ))を構(かま)え、幕府の権威(けんい)を高めたんだ
室町幕府のしくみはどうなっていたんですか?
幕府のしくみとして、将軍を補佐(ほさ)する管領(かんれい)を置き、各地には守護大名(しゅごだいみょう)を配置した。守護大名は任国(にんごく)の軍事・行政(ぎょうせい)を担(にな)い、大きな力を持つようになったんだよ