1955年、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議(かいぎ)(あじああふりかかいぎ)が開かれ、植民地(しょくみんち)からの独立国(どくりつこく)が平和共存(へいわきょうぞん)を訴(うった)えました。
米ソの冷戦が激化(げきか)しているなかで、どちらにも属(ぞく)さない国もあったんですか?
そうだよ。独立(どくりつ)したばかりの国々は第三世界(だいさんせかい)と呼ばれて、米ソどちらにもつかない立場(たちば)で平和(へいわ)を訴(うった)えたんだ
1962年、ソ連がキューバにミサイル基地(きち)を建設(けんせつ)しようとし、キューバ危機(きき)(きゅーばきき)が発生(はっせい)。米ソは核戦争(かくせんそう)の瀬戸際(せとぎわ)に立ちました。この危機(きき)をきっかけに部分的核実験禁止条約(ぶぶんてきかくじっけんきんしじょうやく)が結ばれました。
核戦争(かくせんそう)の瀬戸際(せとぎわ)まで行ったんですか…!怖(こわ)いですね…
だからこそ核軍縮(かくぐんしゅく)の動きが始まったんだ。その後ベトナム戦争(せんそう)(べとなむせんそう)ではアメリカが介入(かいにゅう)を深め、世界中で反戦運動(はんせんうんどう)が広がったよ
アメリカではキング牧師(ぼくし)(きんぐぼくし)が公民権運動(こうみんけんうんどう)を指導(しどう)しました。ヨーロッパではヨーロッパ共同体(よーろっぱきょうどうたい)(EC)が結成(けっせい)され、経済統合(けいざいとうごう)が進みました。
<span class="keyword">アジア・アフリカ会議</span>で平和共存 → <span class="keyword">キューバ危機</span>で核戦争寸前 → <span class="keyword">部分的核実験禁止条約</span> → <span class="keyword">ベトナム戦争</span>と反戦運動!
1956年、日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)でソ連との国交(こっこう)が回復し、日本は国際連合(こくさいれんごう)に加盟(かめい)しました。
国連加盟(こくれんかめい)で日本は国際社会(こくさいしゃかい)に正式に復帰(ふっき)したんだ。次は近隣諸国(きんりんしょこく)との関係改善(かんけいかいぜん)だね