1919年、第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の講和(こうわ)のためパリ講和会議(ぱりこうわかいぎ)が開かれました。敗戦国(はいせんこく)ドイツに厳(きび)しい条件を課すベルサイユ条約(べるさいゆじょうやく)が結ばれました。
ベルサイユ条約はドイツにとってどれくらい厳(きび)しかったんですか?
莫大(ばくだい)な賠償金(ばいしょうきん)、領土(りょうど)の割譲(かつじょう)、軍備の制限(せいげん)など、とても厳しい内容だったよ。この恨(うら)みが後のドイツの動(うご)きにつながっていくんだ
世界平和を目指す国際連盟(こくさいれんめい)が設立(せつりつ)され、日本はイギリス・フランス・イタリアとともに常任理事国(じょうにんりじこく)となりました。
日本が常任理事国になれたんですか!すごいですね!
戦勝国(せんしょうこく)として大きな発言力(はつげんりょく)を持ったんだね。ただし、国際連盟を提唱(ていしょう)したアメリカ自身は議会(ぎかい)の反対で不参加(ふさんか)だったんだ。これが大きな弱点(じゃくてん)になったんだよ
<span class="keyword">パリ講和会議</span> → <span class="keyword">ベルサイユ条約</span>(ドイツに厳しい条件)+ <span class="keyword">国際連盟</span>設立(日本は<span class="keyword">常任理事国</span>)
アメリカのウィルソン大統領(うぃるそんだいとうりょう)が提唱(ていしょう)した民族自決(みんぞくじけつ)の原則(げんそく)で東ヨーロッパでは多くの国が独立(どくりつ)しましたが、アジアやアフリカの植民地(しょくみんち)には適用(てきよう)されませんでした。
民族自決がアジアやアフリカには適用(てきよう)されなかったのはなぜですか?
ヨーロッパの国々がアジアやアフリカの植民地(しょくみんち)を手放したくなかったからだよ。「民族自決」はヨーロッパの中だけの話で、アジアの人々はとても失望(しつぼう)したんだ