藤原氏は天皇に娘を嫁がせ、その外戚として摂関政治を行いました。
藤原氏はまず娘を天皇のきさき(后)にするんだ。その娘が皇子を産み、その皇子が次の天皇になると、藤原氏は天皇のおじいさん=外戚になれるんだよ。こうして政治の実権を握ったんだ
摂政と関白ってどう違うんですか?
天皇が幼いときは摂政として政治を代行し、天皇が成長すれば関白として補佐するんだよ
どちらにしても藤原氏が実権を握っていたんですね!
そうだよ!特に藤原道長は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだんだ。「この世は自分のためにあるようなもの。満月のように何も欠けたものはない」という意味で、それほどの栄華を誇ったんだよ
<span class="keyword">摂関政治</span>:<span class="keyword">外戚</span>として<span class="keyword">摂政</span>(幼い天皇に代わる)・<span class="keyword">関白</span>(天皇を補佐)の地位で実権を握った!
藤原道長の時代に全盛期を迎え、息子の藤原頼通は平等院鳳凰堂を建立しました。
藤原道長はなぜそんなに権力を持てたんですか?
道長は4人の娘を天皇に嫁がせて、摂関政治の全盛期を築いたんだよ。満月に例えるほどの栄華だったんだ