593年、推古天皇(すいこてんのう)のもとで、聖徳太子(しょうとくたいし)が摂政(せっしょう)として政治(せいじ)を行いました。
聖徳太子(しょうとくたいし)は、家柄ではなく才能や功績(こうせき)で役人を評価(ひょうか)する冠位十二階(かんいじゅうにかい)という制度を作ったんだよ
それまでは家柄で決まっていたんですか?
そうなんだ。それまでは豪族(ごうぞく)の家柄で地位が決まっていたんだよ。さらに、役人の心がまえを示す十七条(じゅうしちじょう)の憲法(けんぽう)も定めたんだ。「和(わ)を以(もっ)て貴(とうと)しとなす」が有名だね
話し合いを大切にしようってことですね!すごく先進的だなあ
<span class="keyword">冠位十二階</span>(才能・功績で地位を決定)と<span class="keyword">十七条の憲法</span>(役人の心がまえ)で天皇中心の政治を目指した!
聖徳太子は遣隋使(けんずいし)として小野妹子(おののいもこ)を隋(ずい)に送り、対等(たいとう)な外交(がいこう)を目指しました。
遣隋使を送ったのはなぜですか?
隋(ずい)の進んだ制度(せいど)や文化を学ぶためだよ。「日出づる処(ところ)の天子(てんし)」という手紙を送って、対等な関係を主張したんだ
そして仏教(ぶっきょう)を広めるために、日本最古の木造建築(もくぞうけんちく)法隆寺(ほうりゅうじ)を建てたんだよ。これが飛鳥文化(あすかぶんか)を代表する建物だ!