1937年、北京(ペキン)郊外(こうがい)の盧溝橋(ろこうきょう)で日本軍と中国軍が衝突(しょうとつ)。盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)をきっかけに日中戦争(にっちゅうせんそう)が始まりました。
日本軍は首都(しゅと)・南京(ナンキン)を占領(せんりょう)したけど、その際(さい)に多くの捕虜(ほりょ)や民間人(みんかんじん)を殺害(さつがい)する南京事件(ナンキンじけん)を引き起こし、国際的(こくさいてき)な非難(ひなん)を受けたんだ
中国側はどうやって対抗(たいこう)したんですか?
蔣介石(しょうかいせき)(国民党(こくみんとう))と毛沢東(もうたくとう)(共産党(きょうさんとう))が抗日民族統一戦線(こうにちみんぞくとういつせんせん)を結成(けっせい)したんだ。蔣介石は首都を重慶(じゅうけい)に移(うつ)して徹底抗戦(てっていこうせん)したから、日本軍は中国全土を支配(しはい)できず、戦争は泥沼化(どろぬまか)していったんだよ
<span class="keyword">盧溝橋事件</span>(1937年)→ <span class="keyword">日中戦争</span> / <span class="keyword">南京事件</span> / <span class="keyword">抗日民族統一戦線</span>で泥沼化
戦争が長引く中、1938年に国家総動員法(こっかそうどういんほう)が制定(せいてい)されました。政府は議会(ぎかい)の承認(しょうにん)なしに人や物資(ぶっし)を動員(どういん)できるようになりました。
議会(ぎかい)の承認(しょうにん)なしに動員(どういん)できるなんて、すごい権限(けんげん)ですね…。国民の生活はどう変わったんですか?
全ての政党(せいとう)は解散(かいさん)させられて大政翼賛会(たいせいよくさんかい)に統合(とうごう)されたんだ。国を挙(あ)げて戦争に取り組む体制が作られていったんだよ
国民生活では配給制(はいきゅうせい)が導入(どうにゅう)され、隣組(となりぐみ)で相互(そうご)監視(かんし)の体制が敷(し)かれました。植民地(しょくみんち)では皇民化政策(こうみんかせいさく)で日本語(にほんご)使用や創氏改名(そうしかいめい)が強制(きょうせい)されました。
配給制や隣組で国民の生活も戦争(せんそう)一色になっていったんですね…