解説
大宝律令の完成
701年に大宝律令が完成し、唐にならった法律で国を治める律令国家の仕組みが整いました。律は刑罰、令は政治の決まりです。藤原不比等らが中心となって編纂しました。
- 大宝律令(701年):律(刑罰)+令(政治)
- 唐の律令を手本に日本独自の修正を加えた
- 藤原不比等が編纂の中心
中央と地方の統治組織
中央には太政官(行政)と神祇官(祭祀)を置く二官八省の仕組みが整えられました。地方は国・郡・里に分けられ、国司が都から派遣され、郡司は地元の豪族が任命されました。
- 太政官:行政の最高機関
- 神祇官:神事・祭祀を司る
- 国司(都から派遣)と郡司(地元豪族)
平城京と奈良時代
710年に元明天皇のもとで奈良に平城京が造られました。唐の長安をモデルに碁盤の目のように整備され、朱雀大路が南北に走りました。ここに都が置かれた約80年間を奈良時代と呼びます。
- 平城京(710年):唐の長安がモデル
- 朱雀大路:都の中央大通り
- 奈良時代:約80年間
貨幣と地方拠点
708年に和同開珎が鋳造され、貨幣経済の導入が進められました。九州には大宰府が、東北には多賀城が置かれ、地方の外交・防衛の拠点となりました。
- 和同開珎(708年):日本最古の流通貨幣
- 大宰府:九州の外交・防衛
- 多賀城:東北の政治拠点