解説
隋の統一と蘇我氏の台頭
6世紀末に隋が中国を統一し、東アジアの国際秩序が大きく変わりました。日本では蘇我氏と物部氏が仏教の受け入れをめぐって対立し、蘇我氏が勝利して大きな力を持つようになりました。
- 隋:6世紀末に中国を統一
- 蘇我氏vs物部氏:仏教受容をめぐる対立
- 蘇我馬子:仏教を推進した有力豪族
聖徳太子の政治改革
593年、推古天皇の摂政として聖徳太子(厩戸皇子)が政治改革を行いました。才能や功績で地位を決める冠位十二階、役人の心構えを示した十七条の憲法を定め、天皇中心の政治体制を目指しました。
- 冠位十二階:家柄でなく才能・功績で地位を決定
- 十七条の憲法:「和を以て貴しとなす」
- 推古天皇の摂政として改革を推進
遣隋使と対等外交
聖徳太子は小野妹子を遣隋使として隋に派遣し、「日出づる処の天子」と称して対等な外交を目指しました。隋の進んだ制度や文化を学ぶ目的もありました。
- 遣隋使:小野妹子を607年に派遣
- 「日出づる処の天子」:対等な関係を主張
- 隋の制度・文化を学ぶ
飛鳥文化
法隆寺に代表される日本初の仏教文化が飛鳥文化です。聖徳太子は蘇我馬子と協力し、仏教を政治に取り入れました。中国や朝鮮半島の影響を強く受けた国際色豊かな文化です。
- 法隆寺:世界最古の木造建築
- 釈迦三尊像:法隆寺金堂の仏像
- 飛鳥寺:蘇我馬子が建立