解説
建武の新政
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は、天皇中心の新しい政治「建武の新政」を始めました。しかし公家を優遇して武士の功績を正しく評価しなかったため、武士の不満が高まりました。わずか約2年で崩壊し、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻しました。
- 建武の新政:後醍醐天皇が始めた天皇中心の政治
- 公家中心の政治で武士の不満が高まる
- 約2年で崩壊
南北朝時代
足利尊氏は京都に新たな天皇を立てて北朝としました。後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃れて南朝を開き、自らこそが正統な天皇であると主張しました。こうして京都の北朝と吉野の南朝が対立する南北朝時代が約60年間続きました。
- 北朝:足利尊氏が京都に立てた天皇の朝廷
- 南朝:後醍醐天皇が吉野に開いた朝廷
- 南北朝時代:約60年間続いた二つの朝廷の対立
室町幕府の成立と足利義満
1338年、足利尊氏は征夷大将軍に任命され、京都に室町幕府を開きました。第3代将軍の足利義満は1392年に南北朝の統一を実現しました。義満は京都の室町に「花の御所」と呼ばれる豪華な邸宅を建て、これが「室町幕府」の名前の由来となりました。義満は太政大臣にもなり、武家と公家の両方の権威を手にしました。
- 1338年:足利尊氏が征夷大将軍に任命
- 足利義満:第3代将軍、1392年に南北朝を統一
- 花の御所:室町に建てた豪華な邸宅→室町幕府の名前の由来
- 足利義満は太政大臣にもなった
室町幕府の仕組み
室町幕府では将軍を補佐する管領が置かれ、細川・斯波・畠山の三家が交代で就任しました。また侍所(軍事・警察)、政所(財政)、問注所(裁判)の機関が設けられました。関東8か国などの統治のために鎌倉府が置かれました。南北朝の動乱の中で守護は領地を拡大し武士を家来化して守護大名へと成長しました。京都では土倉や酒屋が金貸しを行い、幕府の財源となりました。
- 管領:将軍を補佐する最高職(細川・斯波・畠山の三家)
- 侍所・政所・問注所:幕府の主要機関
- 鎌倉府:関東の統治を担当
- 守護大名:一国を支配するほど強力な権限を持つ守護
- 土倉・酒屋:金貸しを行い幕府の財源