解説
日英同盟と開戦
ロシアは満州への進出を強め、1900年の義和団事件後も軍隊を駐留させ続けました。ロシアの南下を警戒するイギリスと日本の利害が一致し、1902年に日英同盟が結ばれました。そして1904年、日本はロシアとの戦争に踏み切りました。
- 義和団事件後もロシアが満州に駐留
- 日英同盟(1902年)
- 1904年に日露戦争が開始
ポーツマス条約
戦争は日本優位に進みましたが、国力は限界に達していました。アメリカ大統領の仲介で1905年にポーツマス条約が結ばれ、韓国での優越権、旅順・大連の租借権、南満州の鉄道利権、北緯50度以南の樺太を獲得しましたが、賠償金はありませんでした。
- アメリカ大統領の仲介
- 韓国の優越権、南樺太などを獲得
- 賠償金なし
国民の怒りと反戦の声
賠償金が取れなかったことに国民の不満が爆発し、東京で日比谷焼き討ち事件が起きました。一方、与謝野晶子は弟の身を案じて「君死にたまふこと勿れ」を発表し、戦争に対する複雑な国民の思いを象徴しました。
- 日比谷焼き討ち事件
- 与謝野晶子「君死にたまふこと勿れ」
- 戦争への複雑な思い