解説
満州事変と満州国建国
1931年、関東軍は中国東北部の柳条湖で南満州鉄道の線路を自ら爆破し(柳条湖事件)、これを中国側の仕業として軍事行動を開始しました。これが満州事変です。関東軍は政府の方針を無視して中国東北部を占領し、1932年に満州国を建国しました。清の最後の皇帝である溥儀を元首にしましたが、実際は日本が支配していました。
- 1931年柳条湖事件:関東軍が自ら線路を爆破し中国のせいにした
- 満州事変:政府の方針を無視して中国東北部を占領
- 1932年満州国建国:溥儀を元首にしたが実質は日本が支配
国際連盟脱退と五・一五事件
国際連盟はリットン調査団を派遣し、満州国を認めず日本に撤退を勧告しました。日本はこれを不服として1933年に国際連盟を脱退し、国際的に孤立していきました。1932年には海軍の青年将校らが首相官邸を襲い、犬養毅首相を暗殺する五・一五事件が起きました。この事件で政党内閣は終わりを迎えました。
- リットン調査団の勧告を不服とし1933年に国際連盟を脱退
- 1932年五・一五事件:犬養毅首相が暗殺された
- 五・一五事件で政党内閣が終焉を迎えた
二・二六事件と軍部の台頭
1936年、陸軍の青年将校らが約1400名の兵を率いてクーデターを起こし、政府の要人を殺害しました(二・二六事件)。この事件は鎮圧されましたが、軍部の政治的発言力はさらに強まりました。政治家たちは軍部に逆らうことが難しくなり、日本は戦争への道を進んでいくことになります。
- 1936年二・二六事件:陸軍青年将校によるクーデター
- 事件後、軍部の政治的発言力がさらに強化された
- 政治家は軍部に逆らえなくなり戦争への道を進んだ