解説
鎌倉幕府の成立としくみ
1185年、源頼朝は国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置くことを朝廷に認めさせました。守護は軍事や警察の仕事を担当し、地頭は年貢の取り立てや土地の管理を行いました。1192年には頼朝が征夷大将軍に任命され、鎌倉に本格的な武士の政権が成立しました。
- 1185年:守護・地頭の設置を朝廷が承認
- 守護:国ごとに置かれた軍事・警察の役職
- 地頭:荘園・公領ごとに置かれた年貢徴収の役職
- 1192年:源頼朝が征夷大将軍に任命
幕府の組織と御家人
鎌倉幕府には侍所(御家人の統率)、政所(政務・財政)、問注所(裁判)の3つの役所が置かれました。将軍に忠誠をちかった武士は御家人とよばれ、将軍との主従関係で結ばれました。御家人は「いざ鎌倉」と呼ばれれば、いつでも将軍のもとへ駆けつける覚悟を持っていました。
- 侍所:御家人の統率を行う役所
- 政所:政務や財政を担当する役所
- 問注所:裁判を担当する役所
- 御家人:将軍に忠誠をちかった武士
御恩と奉公
将軍と御家人は御恩と奉公の関係で結ばれていました。御恩とは将軍が御家人の先祖伝来の領地を認めたり(本領安堵)、新たな土地をあたえたり(新恩給与)することです。奉公とは御家人が将軍のために戦いや京都・鎌倉の警護を行うことです。
- 御恩:領地の保障(本領安堵)や新たな土地の付与(新恩給与)
- 奉公:戦いや警護などの軍事的奉仕
- 土地を仲立ちとした主従関係(封建制度)
北条氏の執権政治
頼朝の死後、3代将軍源実朝が暗殺され、源氏の将軍は3代で途絶えました。頼朝の妻・北条政子の一族である北条氏が執権として将軍を補佐し、実権をにぎりました。初代執権は北条時政で、以後北条氏が幕府の政治を主導しました。
- 3代将軍源実朝の暗殺で源氏の将軍が途絶える
- 執権:将軍を補佐し実権をにぎった役職
- 北条時政:初代執権
- 北条氏が幕府の政治を主導
承久の乱と御成敗式目
1221年、後鳥羽上皇が幕府をたおそうとして承久の乱を起こしましたが、北条政子が御家人の団結をうったえ、幕府が勝利しました。乱後、京都の朝廷を監視するために六波羅探題が置かれ、幕府の支配が西日本にも広がりました。1232年には第3代執権の北条泰時が御成敗式目(貞永式目)を定め、武士の慣習にもとづいた51か条の裁判基準を示しました。
- 承久の乱(1221年):後鳥羽上皇の挙兵、幕府が勝利
- 北条政子:御家人の団結をうったえた頼朝の妻
- 六波羅探題:京都の朝廷を監視する機関
- 御成敗式目(1232年):北条泰時が定めた51か条の武士の法