解説
農業の発展
鎌倉時代には農業技術が進歩しました。西日本を中心に、秋に米をとったあと冬に麦を作る二毛作が広まり、生産力が大きく向上しました。鉄製農具が普及し、牛や馬を使った耕作(牛馬耕)や、草木を焼いた灰を肥料にする方法も広がりました。
- 二毛作:米と麦を同じ土地で年に二度つくる農法(西日本中心)
- 鉄製農具:耕作効率を大幅に向上させた
- 牛馬耕:牛や馬を使った耕作
- 草木灰:肥料として利用
商業と貨幣経済の発展
寺社の門前や交通の要所では定期市が開かれ、月に3回開催される三斎市が一般的でした。日宋貿易で流入した宋銭が広く使われるようになり、物々交換から貨幣を使った取引へと経済のしくみが変化しました。年貢の支払いにも宋銭が使われるようになり、馬を利用した運送業者(馬借)も活躍しました。
- 定期市:門前や交通の要所で月3回開催(三斎市)
- 宋銭:日宋貿易で流入した貨幣。貨幣経済が発達
- 馬借:馬を利用した運送業者
武士の暮らし
鎌倉時代の武士は質素な板葺きの住まいで暮らし、弓馬の道を重んじて武芸の訓練に励みました。ふだんは自分の領地で農業を指導しながら、「いざ鎌倉」と呼ばれれば将軍のもとへ駆けつける覚悟を持っていました。名誉を大切にし、はじをきらう武士道の精神が武士の生き方の基本でした。
- 質素な板葺きの住まい。贅沢を避けた
- 弓馬の道:武芸を磨くことを重視
- 武士道:名誉を重んじる武士の精神
地頭と荘園領主の対立
地頭は荘園の管理を任されていましたが、しだいに農民への支配を強め、年貢を横領するなど荘園領主との対立が深まりました。幕府の問注所が裁判で解決を図りましたが、根本的な解決は難しく、地頭と荘園領主が土地を半分ずつ分ける下地中分が行われることもありました。
- 地頭が荘園で勢力を拡大し、領主と対立
- 下地中分:地頭と荘園領主が土地を半分ずつ分ける妥協策
- 幕府(問注所)が裁判で争いの解決を図った