解説
パリ講和会議とベルサイユ条約
1919年、第一次世界大戦の講和のためパリ講和会議が開かれました。敗戦国ドイツに対して厳しい条件を課すベルサイユ条約が結ばれ、多額の賠償金や領土の割譲が決められました。また、世界平和を目指す国際連盟が設立され、日本はイギリス・フランス・イタリアとともに常任理事国となりました。
- 1919年パリ講和会議でベルサイユ条約
- ドイツに厳しい条件(賠償金・領土割譲)
- 国際連盟の設立、日本は常任理事国
民族自決の理想と現実
アメリカのウィルソン大統領が提唱した民族自決の原則により、東ヨーロッパではポーランドやチェコスロバキアなど多くの国が独立しました。しかし、この原則はアジアやアフリカの植民地には適用されず、民族自決はヨーロッパ限定のものにとどまりました。
- 民族自決:民族が自分たちの国を作る権利
- 東ヨーロッパで多くの国が独立
- アジア・アフリカの植民地には適用されず
アジアの民族運動
民族自決がアジアに適用されなかったことに対し、各地で抵抗運動が起きました。朝鮮では三・一独立運動、中国では五・四運動が起こり、日本や列強への反発が広がりました。インドではガンディーが非暴力・不服従運動を指導し、イギリスからの独立を目指しました。
- 朝鮮:三・一独立運動(1919年)
- 中国:五・四運動(1919年)
- インド:ガンディーの非暴力・不服従運動